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Japan Actors Union

1972年 | 日本俳優連合30年史

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1972年 | 日本俳優連合30年史

-1972年-

前年の「ニクソン・ショック」によって世界経済が混乱に陥っている一方で、日本は新たに経済力を高く評価されることになります。1ドル=360円から1ドル=308円へと円高になったことが何よりの証拠です。ここで登場したのが庶民宰相と称せられた田中角栄氏でした。この年(1972年)には日中国交正常化を実現し、「日本列島改造論」という著書をも著しました。日本中を再開発し、工業生産を一層活発にするため、列島中にくまなく新幹線と高速道路を張り巡らせようという構想です。この構想を基に鉄建公団、道路公団、石油公団などお役人の天下り先でもある特殊法人は次々と整備されます。30年後の今、税金の無駄使い是正のため、国民が挙げて構造改革に苦労する主原因はここに発しているのでした。

前年創立された日本俳優連合はこうした環境下にあったのです。

厳しい俳優の生活実態

広く俳優を結集する組織として日本俳優連合が創立され、行動も起こし始めたとはいえ、法人格のない団体としては放芸協と二人三脚で動いていくというのが実態でした。毎年のNHKの基準出演料改定に関する交渉も話の窓口はあくまでも放芸協になっていました。

その日俳連が1972(昭和47)年8月13日、結成以来1年半を経過した時点で、第1回全国大会を開催しています。場所は東京の都市センター大会議室。全国からの代議員55人の出席に加え、役員が21人出席、ほかに委任状も54通集まるという盛況でした。出席者の顔ぶれを見てみますと、佐々木孝丸副会長、東野英治郎理事長、二谷英明専務理事など錚々たる御仁が揃っています。厳しい俳優の生活実態を何とか打開しようという強い意志が出席者の中に満ちていたのでしょう。また、この頃から市販されるようになったビデオ・カセットに東宝の製作していたテレビ映画が出演者に無断で録画され、商品化されていたことも、出席者が多くなった一因だったと思われます。新しい著作権法が施行されて以来、俳優の間で高まってきた権利意識が反映された結果だとも言えましょう。

また、この全国大会では日俳連の規約を一部改正し、「日本俳優連合が会員の著作隣接権に関する代理行使ができる」という画期的な議決がなされました。一人一人の俳優では、製作会社との力関係で、なかなか実力を行使できない「録音権」「録画権」「放送権」「有線放送権」に関わる許諾を日俳連が代行しようというわけです。これについては、当時、日俳連の副理事長であると同時に芸団協の専務理事も務めておられた久松保夫氏の精気あふれる小論文が残されているので、その要旨を紹介しておきましょう。

著作権法が私たちに“著作隣接権”として「録音権」「録画権」「放送権」「有線放送権」を与えていることは、すでにご承知のことだろう。

ところで、権利は活かして使わねば無いに等しいが、私たちは毎日創作活動に当たって、これらの権利を十分に活用し、満足のいく「使用料」(出演料ではない、著作隣接権の使用料である)を受け取っているであろうか。

例えば、興行会社や映画制作プロ、放送業者などとの契約で「一切の権利は会社側にある」とか、「後日、あらためての請求は何ら致しません」とか、「出演料の中に再使用料も含めます」とか、あるいは何の取り決めもなしに、ただ録音OK、録画OK、放送OK、有線放送もOK…、しかも、受け取るのは最初の出演料だけ、といったバカな黙契を認めたりはしていないだろうか。

もし、あるとすれば力関係もさることながら、それは著作隣接権という権利が、演技したとき私自身に自動的に発生し、向こう20年間、私(もしくは相続人)にとり「経済的収益をあげ得る財産権」であることを私が忘れ、自ら権利を放棄しているか、無料で相手に差し上げた結果になっていることに気付いていないからだ。

著作隣接権は物権的な権利だから、他人に譲渡できる。全部を譲ることも「録音権だけ」とか「放送権だけ」と分割することも可能だ。そこで、制作者サイドはとぼけて、その権利譲渡を私たちに求めてくる。(それが、日本語通用地域、無期限とくれば、その作品の挙げる利益は、20年間、相手方の独占に期するというわけだ)相当に力の強い俳優でも(腕っこきのマネージャーがついていても)、個人で権利を盾に大きな条件を提示すれば、たいていの場合契約は整わず、“お呼びでない”の結果を生む。

そこで、「日本俳優連合」は、日本中の俳優が一致して、お互いが持つこの権利を守り、活かして使い“実のあるもの”にするため、規約の一部を改正、必要ある時は個人に代わって日俳連が「著作隣接権の代理行使」をすることがある旨を事業の第一に掲げ、かつ正会員の義務として「著作隣接権の全部または一部を譲渡、質入れもしくは無償の利用許諾をしようとするときは、あらかじめこの会の承認を得なければならないこと」「この会またはこの会の委任を受けた者が行う著作隣接権の代理行使につき、これを異議なく承諾しなければならないこと」を加えた。

私たちの著作隣接権は、いうまでもなく私権であるから、その任意な行使を日俳連といえども止めることは出来ない。しかし、それが本人の意思に反するのみか他の仲間へも迷惑が及ぶような条件であれば、権利の代理行使を会は引き受け、全俳優の名において強力な交渉を行うであろう。

こうして、第1回全国大会は、俳優の基本的な権利を確定したのでした。そのほか、会費は1人年間1000円とすること、歌手兼俳優兼業者および外国人タレントの入会促進をはかること、なども決められました。

FIAのタシケント・シンポジュームに参加

1972(昭和47)年9月26日から10日間、ソ連ウズベキスタンの首都タシケントで、FIA(国際俳優連盟)主催のシンポジウム「民族文化と俳優」が開催されることになり、日俳連にも招請状が届きました。

この時代のFIA(国際俳優連盟)加盟国数はわずか34カ国でした。しかし、米ソの冷戦対立が続いていたこの時期に、東側も西側も分け隔て無く、席を同じうして話し合いが出来るのは恵まれたことでした。そのうえ、当時のソビエト連邦は社会主義国の盟主的存在であり、同連邦内で組合活動をする組織は国からの活動助成金をふんだんに受けることが可能になっていました。従って、このシンポジウムへの参加費は全額ソ連文化労組による負担で賄われたのでした。日本からは映画演劇関連産業労組共闘会議(映演総連)の間島三樹夫副委員長を団長に放芸協常務理事の江見俊太郎氏、同事務局長の村瀬正彦氏の3氏が参加しました。

そして、間島団長が何とも衝撃的な日本芸能界の実情報告を行っています。その一部を紹介すると次のようになります。

今日、日本はGNP世界第2位という高度成長の下で、政府は情報社会化を進め、TV、映画、演劇、ラジオ、新聞、出版、広告などのマスメディアは急速な発展を見せつつあります。そして、これに関与する俳優の役割と仕事は、その範囲をますます広めつつあります。にもかかわらず、俳優の創造者としての、また芸術家としての地位、すなわち経済的、社会的地位は旧態依然の状況におかれ、まことに非近代的なあり方を余儀なくされていると言わねばなりません。

では、いったい俳優の出演の場はどうなっているのでしょうか。

TV映画は粗製濫造に一層拍車をかけ、エロ、グロ、ナンセンスな退廃映画ははびこる一方で、昨年の映画館人口は2億に落ち込む衰退ぶりを示しています。そのため、映画の大手企業家は映画制作を放棄し、映画労働者は勿論、映画芸術家、俳優は創造の場を失う厳しい現実に直面しつつあります。

例えば、映画5大企業のうち1企業は昨年12月に倒産し、他の1企業は撮影所を売り払ってポルノ映画の生産に走り、国家権力の弾圧を招く状況まで作り出しています。そして、残る3企業も儲かるボーリング場経営やビデオ・カセットの下請化の方向に資本投下を移しつつあります。

これに対して映画労働者、芸術家は働く者の手による映画復興運動を進めつつありますが、このような運動と合わせてベトナム映画人に撮影機を送る支援と連帯の活動にも取り組みを進めています。

次は古典演劇すなわち歌舞伎の問題です。これらの演劇は、国立劇場や興行資本の庇護の下に、ようやく公演が維持されている状況です。そのため、スターと一部の重要な脇役を除いて大部分の俳優は低い出演料と劣悪な条件の下で苦しんでいます。 

また、能、文楽のような伝統芸能の分野では技術の継承の問題が、国の文化政策として立てられる必要をますます強めています。さらに新劇は、舞台公演だけでは生活も劇団経営も維持することが出来ず、このために民主的、進歩的な演劇の創造と発展が大きく妨げられています。(以下、略)

この報告の内容を見た読者の方々の中には「随分大げさに、自分たちを卑下して見せたものだ」と違和感をお持ちになる方がおいでになるかも知れません。だが、一見大げさな話のように見える報告の内容は、実は、設立間もない日本俳優連合が映演総連、民放労連、芸団協、新劇団協議会の協力を得て作成した調査資料「日本における俳優と文化の諸問題」から抜粋したものでした。きちんと裏付けのあったものだったのです。

この調査時点でのわが国の俳優を取り巻く勢力図は

総俳優数 6000人
日俳連会員数 3500人(組織率 58.3%)

であり、また、舞台を中心に活躍する人々をジャンル別に俯瞰すると

能・狂言(能楽協会会員) 1333人
文楽(文楽座座員) 68人
歌舞伎・新派 465人
大衆演劇(喜劇人) 101人
新劇(新劇俳協) 909人

という具合でした。

ついでに映画製作の実態を見ますと、合計421本(1971年度集計)のうち

大手5社(東宝、松竹、東映、日活、大映)が 184本

独立プロダクションが 22本
ピンク映画プロダクションが 215本

となり、輸入映画と国内配給映画の配給収入の比較では

輸入映画(洋画)が 144億8700万円
国内配給(邦画)が 130億8000万円

と、邦画が外国からの輸入映画に圧倒されるようになった実態が示されています。

では、俳優の生活実態はどうだったのでしょうか。

因みに1973(昭和48)年7月15日付けの機関誌「放芸」(49号)を広げて見ますと、「重大な岐路に立った俳優業」なる記事が掲載されています。

大都会では成人男子が生活していくには月10万円が必要だという。日俳連アンケートによれば、その10万円を本業で稼げない俳優が57.4%もいた。しかも、俳優の必要経費は一般給与所得者よりも多い。また、物価が上がれば上がるほど、制作面でのしわ寄せは俳優に最も多くのしかかっている。

在京民放局の社員の給与は昨年よりも14%以上も上がったそうだが、俳優の方は1000万円収入の人までを平均に入れてもわずかに4%の増収であり、月収10万円以下のクラスでは、逆に毎月1万円平均の減収が生じていることがわかった。つまり、半数以上の人が手取り10万円にも満たず、減収の方向を辿っているのである。

恵まれない、というよりも悲惨と言った方がいい、俳優の実態が明らかにされたのでした。