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1984年 | 日本俳優連合30年史

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1984年 | 日本俳優連合30年史

-1984年- 芸能サミットの実現

サミット(summit)とは、本来、「頂上」や「頂点」の意を表す言葉です。そこから転じて政治の首脳を表現するようになり、最近ではただ「サミット」といえば、年に1度開かれる「先進8カ国の首脳会談」を表すようになりました。

その首脳会談になぞらえて芸能界、中でも、俳優部門の文字通り頂点に立つ三巨頭の話し合いが1984(昭和59)年月20日、東京・日比谷の東京會舘で実現しました。芸団協と(社)日本俳優協会の会長を兼務する中村歌右衛門氏、新劇団協議会の会長・千田是也氏、そして日俳連の理事長・森繁久彌氏が「俳優の現状と将来について」懇談したのです。会談は食事を挟んで3時間にも及び、日俳連からは二谷英明専務理事も同席しました。

話し合いは放送、映画、演劇、古典劇、新劇と広範囲に渡りましたが、やはり当面の大問題である出演作品の二次利用に関する話題が中心を占め、解決に向けての緊急対策を練ることで意見の一致をみたようです。
三巨頭の意見の一致を背景に、日俳連ではこの年の7月から理事長、副理事長、専務理事など在京幹部による「政策推進会議」を持つようになり、事態解決の最有力手段として日本映画製作者連盟(略称・映連)の岡田茂会長(東映社長)との会談を求めることになります。

岡田会長との懇談はこの年9月19日に実現します。しかし、映画界の衰退を訴える映連側と俳優側との主張は平行線を辿るばかりで、結局は実りのあるものにはなりませんでした。ただ、俳優と経営者とのトップが直接話し合いの場に付けたということだけは評価していいでしょう。

労災問題への取り組み

舞台での立ち回り、スタジオでの収録、ロケ先でのアクション等々、俳優の仕事には一つ間違えれば死傷事故につながる危険性が常につきまとっています。ところが、製作会社との雇用関係を持たず、仕事が来るたびに出演のための一本契約をしている俳優については、一般に「労働者」と判定されないために、国の補償制度である労働災害補償保険の適用を受けることが出来ません。また、事故に直面してケガをした場合でも、次の仕事の注文が来なくなることを恐れて、少々のことなら我慢してしまうというのが現実です。

これでは問題の抜本的な解決は望めない、と映像対策委員会では「労災問題」にも取り組むことになりました。話が出たのは、1984(昭和59)年3月27日、同対策委員会第2回ブロック懇談会での席上です。ブロック懇談会というのは、日俳連の組織強化を図るうえでは多くの人間が一堂に会して総括的な話をするよりも、いくつかの所属事務所をブロックごとに分け、その事務所に所属する俳優が寄り合って具体的に問題点と解決策を出し合おうとの発想で生まれたもので、第1回は84年2月28日に開催されていました。

第2回ブロック懇談会では、日俳連組合員であり、芸団協では年金部長を務めていた大宮悌二氏が重要な問題提起をしました。その一つは、協同組合としての日俳連が持っている団体交渉権とそれに基づいて締結される団体協約の中に「安全管理」と「事故補償」を明記し、その実効をあげること、もう一つは、学問的には「可能」と言われていながら実際には適用されない芸能人への労働災害補償保険を「適用できる」よう運動を展開すること、でした。団体協約の運用では、製作者側に「労働救済基金」への出資を求め、その運用で俳優の自主的な共済システムを確立させる方法もある、との提起でした。

だが、この問題には常に責任と出費という難題がついて回ります。アイディアは出てもそれに積極的に取り組む事業者が現れない。ということで、それから20年近くを過ぎた近年になっても根本的解決の道筋はついていないのが現状です。

毎日新聞による演劇界評価

1984(昭和59)年10月12日、毎日新聞の演劇担当記者、水落潔氏は同紙「記者の目」欄に「演劇界“冬の時代”に」との記事を掲載しました。クイズやバラエティー、スポーツ番組の人気上昇でテレビ・ドラマの制作が下降線を辿り、俳優の生活を直撃する事態になっているという指摘でした。

厳しい演劇界の例として水落記者は次の二つの実例を挙げています。一つは劇団前進座で一人のベテラン女優が退団した例。芸歴20年で40歳になりながら月収12万円では生活できないというのが退団の理由でした。前進座では、当時、170人の座員を抱え、年間700ステージをこなして、実力劇団としての高い評価を得ていましたが、劇団の総収入を座員に分配するとこのような金額にしかならなかったといいます。もう一つの例は、当時、人気の頂点にあった喜劇俳優の藤山寛美氏率いる松竹新喜劇の劇団規模の縮小でした。こちらも創立30年を超え、老舗劇団といわれていましたが、所属する俳優が高齢化し、高額収入を得るようになっていたので劇団経営が苦しくなって大ナタを振るわざるを得なかったのでした。

水落記者は、こうした状況下では製作プロダクションも経営困難になっていることをも紹介し、その後で「仕事の少なくなった俳優が舞台に、また地方公演に目を向けるようになった。東京の団体客が見せる気まぐれな反応でなく、地方のまじめな観客の厳しい評価に耐えられる演技は日本の演劇文化に好影響を与えよう」と結んでいます。

記者の指摘通りにその後の演劇文化が発展したかどうかは、それから20年を経過したいま、多くの方々がそれぞれの評価をなさるでしょう。しかし、戦後の演劇文化を振り返るとき、テレビを中心にして動いてきた映像の分野と舞台演劇との役割分担は、この指摘を一つのきっかけとして分岐点を迎えたといっても差し支えなかったのではないでしょうか。

「著作権おもしろゼミナール’84」の開催

録画機器の普及が俳優の仕事を脅かす事態は、1983年から深刻さを増す一方でしたが、この事態を打開する一方策として芸団協では盛大な勉強会を企画しました。1984(昭和54)年4月20日、東京・新橋の第一ホテルで開催した「著作権おもしろゼミナール’84」知らないと損みんなで考えるあなたの権利」です。

著作権法第30条では「私的使用の録音・録画(複製)は、適法」ということになっていました。個人的な趣味で録画・録音するなら自由ということだったのです。しかし、機器の発達、普及によって厖大な量の複製物が作成されるようになってくると、俳優や演奏家、その他実演家の権利は著しく損なわれるようになってきます。そこで、この第30条を改正しようという運動の展開が考えられるようになってきていました。改正してどうするか。それは、当時でいう西ドイツ方式、オーストリア方式の導入です。

西ドイツでは、世界に先駆ける1950(昭和25)年にGEMA(西ドイツ音楽著作権協会)によって「ラジオ放送やレコードからの録音は著作権侵害」との警告が発せられ、その後もGEMAが1955年、60年、64年と訴訟作戦を展開して、最高裁からは3つ判断を引き出していたのです。この成果は1965(昭和40)年に、複製機器に5%以内の賦課金を課す制度、すなわち機器の販売価格の上に販売価格の5%以内で計算した税金のようなものを上乗せし、その上乗せ分を実演家などの権利者に還元するという補償制度となって結実しました。オーストリアでは、それから遅れること16年を経てですが、1981(昭和56)年に生テープへの賦課金制度を導入していました。そこで、日本でも、これに似た制度を導入したい。それにはまず、第30条を改正しようとの筋書きだったのです。この制度はやがて1993(平成5)年6月の私的録音補償金制度発足、1999(平成11)年7月の私的録画補償金制度発足につながり、第30条の条文改正にもつながります。

ところで、ゼミナールそのものは著作権、著作隣接権に関わるクイズあり、アトラクションありで、大変な盛り上がりを見せました。

事務局長の米・ソ訪問

1984(昭和59)年5月13日、成田空港を飛び立った村瀬正彦事務局長はモスクワで開かれたFIA(国際俳優連盟)の「ユネスコ勧告実施モスクワ大会」に出席後、アメリカに回って有線放送(CATV)の最新動向やアメリカ俳優協会などのユニオン関係資料入手するなど、20日間にわたる大旅行を行いました。FIAの大会には歌舞伎と新派の俳優で組織する(社)日本俳優協会の浅原恒男事務局長が、アメリカの旅では日俳連の常務理事と芸団協の常任理事を兼務する小泉博氏、同じく芸団協の棚野正士事務局長が合流しました。

FIA大会のテーマになったユネスコ勧告については少し説明を加えておく必要があります。これは、1980(昭和55)年の9月から10月にかけて、ユーゴのベオグラードで開催されたUNESCO(国連教育科学文化機関)第21回総会の席上採択された「芸術家の地位に関する勧告」のことで、次に記すように芸術家を取り巻く諸環境への対応、基本的理念などを規定したものです。「芸術家」を「芸能実演家」と読みかえ、その勧告内容が実施されたら万々歳という理想的な勧告になっています。

では、その一部ですが、さわりの部分を紹介しておきましょう。

※「芸術家」とは、芸術活動を創造し、表現しまたは改造を行い、その芸術的創造を自己の生活の本質的部分とみなし、これを通じ芸術と文化の発展に貢献し、かつ雇用関係や団体関係があると否とを問わず、芸術家として認知され、または認知されることを希望する全ての者

※ユネスコ加盟国は、文化、教育、雇用に係る諸政策の緊密な調整により、芸術家を支援し、芸術家に物質的、精神的援助を与えるための制作を明確にし、かつ世論に対し、そのような政策の正当性と必要性を周知せしめるようにすべきである。(略)著作権法制、および隣接権法制の下で芸術家に与えられるべき諸権利が損なわれることなく、芸術家は公正な条件を享受すべきであり、かつ芸術家の仕事には、それに相応しい公的配慮が与えられるべきである。芸術家の労働条件および雇用条件は芸術家が希望すれば芸術活動に専念できる機会を与えるようなものであるべきである。

※自営の芸術家も所得や社会保障に関する保護を妥当な範囲内で享受できるようにすために必要な措置を講ずるよう努めること。

※芸術家のそれぞれの自己の分野における雇用を促進すること。とくに公共支出の1割を芸術作品に振り向けること。

※芸術家の有給の活動の機会を増大させるために、発展との関連で芸術活動を促進し、かつ芸術活動の成果に対する公的及び民間の需要を高めること。芸術団体に対する委託、地方若しくは国家レベルでの芸術的行事の計画または芸術基金の創設を通じて行うこと。

FIAのモスクワ大会では、この「勧告」を基に

「実演家の地位および全ての国家における文化的生活の質を高めるための非常に重要な手段である『勧告』を重視し、全ての実演家のユニオンが『勧告』を綿密に重視し、組合員の状態を改善する闘争を強め、正当化するために提供される多くの可能性を利用することを勧め、全ての政府が『勧告』の内容を履行するために、以下のことを保証しながら早急なる手段を講ずるよう主張する

※全ての人々が、芸術に近づく機会をもつこと

※表現および報道の自由が、あらゆる芸術活動に対する基本的必要条件として保護されること

※婦人の創造性の向上に対し、特別な配慮がなされること

※組合員の利益を守り、かつ代表する実演家ユニオンの権利が十分認識されること

※労働条件および雇用条件を考慮しながら、ILO(国連労働機関)基準が実演家に適用されること

※実演家は認可されていない私的利用、修正、あるいは配布に対して実演家の作品管理を保守する権利が与えられている。そして、この権利はバラエティーやサーカスおよび人形劇の芸人を含めた実演家を保証している国家法を通じて保護されている。彼らの実演における排他的道徳及び物質的権利である。

※十分な相互基盤に立って遂行され、かつ通交規定に妨げられないならば、実演家たちの交換を含めた国際協力が奨励される」

という決議をしたのでした。

アメリカでの調査では、契約による厳しい縛り、しかも細かい契約内容に改めて驚かされたと、小泉博常務理事、村瀬正彦事務局長が当時の日俳連ニュース特集号に記しています。泳ぐ場面に出演する俳優は、食事の後30分は休息するとか、リハーサル後でもシャワーが使える用意がしてあるとか、日本では考えられない環境整備がととのえられているのでした。