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1994年 | 日本俳優連合30年史

約 12 分
1994年 | 日本俳優連合30年史

-1994年-

いまでは子どもでも口にするようになった「リストラ」。この新しい横文字言葉が流行的に使われるようになったのは、この年からでした。最近では、もっぱら「人員整理」「首切り」を意味するようになった「リストラ」ですが、元を質せば「リストラクション」、正確な日本語に直せば「経営環境の改善を目指す合理化努力」を意味しています。企業にとっては広告費の削減、野球部やバレーボール部の廃部、メセナの廃止などもリストラの一環です。そして、これがやがては芸能界にも深刻な影響を及ぼすようになってきます。

4年ぶりに事務局長着任

放芸協時代から25年間の長きにわたって事務局長を務められ、病魔に襲われた村瀬正彦氏が、1990(平成2)年8月、退任されて以来空席のままになっていた事務局長の席が4年ぶりに埋められることになりました。候補者にあげられ、事務局長見習いとして1994(平成6)年3月1日に着任したのは古川 和 氏です。

古川氏は、元毎日新聞の記者。本職は経済(金融、証券、消費者問題)畑の編集委員でしたが、クラシック音楽の趣味が高じて合唱活動に熱中し、年に15~16回もステージをこなしていました。演劇に関してはズブの素人でしたが、舞台出演の雰囲気を知っていること、またテレビでは株式市場の実況、解説を経験してスタジオの様子を垣間見ていること、英語も一応できること、などから採用されたのでした。新聞記者出身ですから文章執筆のスピードは抜群です。

こんなことから、取りあえずは事務局員として採用。半年の試用期間を満了した同年9月1日から正式に事務局長に就任しました。

未来交信=俳優の未来を考える会の活動

1993(平成5)年、年明け早々にスタートした「俳優の未来を考える会」は、映像流通の実情、組合員の意識など、ともかく現実の状況を把握するところから事を始めようとしました。

最初に取り組んだのは、テレビドラマの再放送の実態です。再放送の増加が盛んに言われているが、本当のところはどうなのか。

1994(平成6)年10月1日から同月28日までのほぼ1ヶ月間。NHKならびに在京民放テレビ・キー局5社の全ドラマ放送時間と再放送時間を集計比較してみたら、一番少ないNHKでも全ドラマ放送時間に占める再放送の割合が46.9%、民放局で一番多いところはなんと86.2%にも達しているという結果が出たのでした。ドラマの中には、民放放送局が自ら製作(局製作)したものも含まれていますから、一部に関しては再放送料(リピート料)が支払われているものもあります。しかし、民放の場合は外注に出す所謂下請け製作が沢山あり、「テレビ映画」と呼ばれるそれらの作品は極く一部の例外を除き、リピート料は支払われませんから、俳優は番組の中で実に多くの只働きをさせられていることが明らかにされたのでした。「俳優の未来を考える会」では、この調査がまとまったのを機に、「“テレビ映画”という呼び名を使っているから、自らリピート料を遠慮しているみたいに思われるのだ。これからはテレビ映画ではない“外注放送作品”という言葉に統一しようではないか」との申し合わせをしました。

もう一つ、調査に取り組んだのは、94年3月に実施した俳優自身の契約に関する実態アンケートでした。「出演を斡旋する事務所に所属しているか」「その事務所の形態を知っているか」「事務所と所属契約を結んでいるか」「所属事務所は製作者と出演契約を結んでいるか」「俳優は事務所と製作者との契約内容を知っているか」「出演に関してトラブルがあったか」などが設問として出されましたが、回答を集計してみると、前近代的と言わざるを得ない結果が出てきました。

すなわち「出演斡旋事務所に所属するものは回答者の89.5%に達し、ほぼ10人に9人までは事務所に所属。所属している俳優はその事務所が株式会社か有限会社かは知っている。だが、その所属事務所との契約関係となると、48.8%は口頭契約による所属であり、契約は交わしていない俳優を含めると実に70.4%が極めて不安定なままにおかれている」といった状況だったのです。

そして、事務所が製作者と交わしてきた出演契約に関しては「契約しているかどうかも分からない」が57.7%に達し、契約がなされていてもその内容は「場合によっては知っている」が57.1%、「知らない」が21.9%というありさまだったのです。従って、出演に関して「過去に問題を生じたことがある」が58.3%に達しているのでした。

だが、アンケートで集計された内容よりショックだったのは2362人の組合員に投げかけた質問に対して回答してきた人は464人。回答率19.6%とという実態でした。

「未来を考える会」は、まだまだやらねばならない大問題がある。これこそがアンケートの最大の収穫だったとも言えるでしょう。

「未来を考える会」の世話人に参集した人は、やがて理事に選出され、さらに常務理事、専務理事、監事と日俳連の要職に就くことになります。それに伴い、会の活動も一旦低調になるのですが、やはり後継者は出てくるもの。21世紀の声を聞くとともに、今度は女性を中心とした活動が展開されることになります。

NHKの方言指導料制度確立

1991(平成3)年に発足した方言指導懇談会は、自らの職業人としての地位を確立する目的で、1994(平成6)年2月2日、アピールを発表します。「方言指導を専門職として確立するために」と題したそのアピールは、

「ドラマにおける方言は、ドラマそのものの奥行きを深め、演技に真実味を与えるなど作品の芸術性、普遍性を高めるものとして、近年とくにその重要性が見直されるようになりました。

テレビの普及は共通語(標準語)の普及の大きな推進力となってきた反面、各地の方言の消滅や変化に大きな影響を与えてきました。しかし、このような変化が進んできた中で、方言を日本文化として、またふるさとの温もりを伝えるかけがえのないものとして大切にすべきだという気運も高まってきています。私たちが関わっている「ドラマの方言」は、作品の舞台となる時代や地域、登場人物の社会的地位、生い立ち、心や感情のなどの表現に大きな影響をもつものであり、ひいては作品評価を左右するほど大切なものであることは改めて強調するまでもありません。このようにドラマの演技の真実味をつよめ、作品の芸術性を高めるものとして、関係者の間にもドラマの方言の役割に改めて注目し、文化的、社会的な期待に応えようと言う気持ちの人々が増えつつあります。

そのためにはドラマの方言指導者は、日常的に知識や担当する地域固有の習慣や伝承文化などの調査、研究を深めていくことが特に重要になっています。

ことばは文化を生む…と言われています。方言指導者がこの仕事に誇りを持ち、意欲的に取り組んでいくためには、「専門職」としての地位を確立することが必要になっています。方言指導者は、自らの技能を高めるために、日俳連に結集し、交流を深め、学習の機会を持つようにしていこうと思います」

との内容でした。

こうした努力の成果はNHKにおける方言指導者への待遇の確立となって現れます。

1994(平成6)年4月25日、NHK内で日俳連、マネ協、劇団協の三団体とNHKとの交渉が行われ、ドラマの方言指導に関する俳優の待遇についてNHK側が新しい制度を導入することが明らかにされました。実施は、同年6月1日です。

方言指導について新たな制度が必要だとの提案がなされたのは、1989(平成元)年4月のことでした。日俳連の大阪在住の組合員から「関西で製作されるドラマでは方言指導が必要になる機会が多い。ところが、方言指導は(台本の方言訳、テープ作成、現場指導など)手間と苦労を要する割には、ギャラが安い。すなわちラジオの基準出演料(ランク)が当てはめられる現状では割に合わないのだ。私の場合は、同じドラマに役を当てられて出演していたのに、方言指導の完璧を期すために手間をとられて役を降りなくてはならなくなってしまった」との訴えが紹介され、NHK側が「検討する」と回答したことで、新制度が考えられるようになったのです。それから丸5年の月日が流れていました。

新たに取り入れられた「方言指導料」は

  1. 指導料は「技術料」と位置づける。
  2. 方言指導を依頼する個人ごとに「基本料金」を定める。
  3. 「基本料金」は30分番組を基準として設定し、調査、方言訳、台本直し、テープ入れまでを含む。
  4. 基本料金は8万円、7万円、6万円、5万円の4ランクとし、演劇テレビランクにスライドして個人別に決める。

などを基本線として合意したもの。30分を超える番組や指導の対象が多人数に及んだ場合にどう対処するかなどについては、それぞれ細目が決められました。

東海地区テレビ7社と団体協約締結

NHKの「方言指導新制度」に先んずること1ヶ月、1994(平成元)年3月29日には、名古屋市中区東新町の料理屋、「多賀屋」で東海地区の民放テレビ7社(中部日本放送、東海テレビ放送、名古屋テレビ放送、中京テレビ放送、テレビ愛知、岐阜放送、三重テレビ放送)と日俳連の間で、団体協約が締結されました。団体協約の内容は、在京5社との協約、在阪5社との協約とほぼ全面的に同じものとなりました。

調印式には玉川伊佐男常務理事をはじめ、名古屋在住の舟木淳理事、名古屋放送芸能家協議会の藤城健太郎理事長、柾木卓・名放芸協事務局長が出席しました。

調印の後、ビールを味わいながら放送局側著作権担当者との懇親会が行われましたが、放送局側からは「昨今話題の俳優の安全問題は真剣に考えなければならない。これまで局では無配慮なことも多く、カメラなど機材には保険を掛けても、俳優は無視するケースがあった」などの発言が出て、驚かされる面もありました。

未払い出演料対策会議の成果

前年スタートした「未払い出演料対策会議」の成果とも言うべきものが、早くも現れました。

  1. 名古屋在住の日俳連組合員、多田木亮佑氏は地元の「映像メディアプロダクション」から2年にわたって受けた仕事をこなしたのに、出演料は未払いのまま放置され、その総額は251万余円に達していました。相談を受けた日俳連事務局では94年6月4日付けで同プロダクションの松波伸彦社長宛に文書による支払いの申し入れを行いました。内容が「法的手続きも辞さず」と強硬なものだったからでしょうか。効果はあり、同年7月2日を第1回とし、46ヶ月をかけて毎月5万円ずつ、端数は最終月に支払うことで解決しました。
  2. 東京在住の日俳連組合員、U氏が社長を務めるKプロダクションでは、所属声優のYさんに対し、アニメ・ビデオの出演料が1年以上未払いのまま放置され、しかも製作会社側の対応が極めて不誠実だったところから、94年2月、簡易裁判所に支払い命令申し立てを求めました。公判は同年5月12日に行われ、相手側が非を認めて「誠意を持って支払いに当たる」としたため、和解が成立。14万円余の支払いを月額3万円均等で支払うことになりました。
  3. Vシネマに出演し出演料約30万円が未払いになったI事務所のKさん、出演料の明確な取り決めをしないで劇場用映画に出演し、製作会社が倒産したと伝えられて相談にきたSさんの2例については、事務局から相手方責任者に配達証明付きの郵便で講義した結果、無事支払いがなされました。
  4. しかし、解決が得られた一方、相手方の製作会社が破産して、どうしても取り立てられないケースがあったことも事実です。
    ただ、未払い問題はともかく行動を起こすことによってある程度までは解決が可能になることが証明されたのでした。

北海道の組合員と常務理事が初の懇談

1994(平成6)年6月14日、北海道札幌市郊外のビール園で北海道在住の組合員と日俳連役員の懇親会が行われました。実に15年ぶりの出来事でした。東京からはるばる参加したのは小笠原弘常務理事と後に理事になる坂俊一氏、それにこの年から新たに日俳連の事務局長に就任した古川和氏。地元からは組合総代の北川陽一郎氏をはじめ、市川ひろみ氏、扇谷治男氏、木村いさお氏、木村光雄氏、金田一仁志氏、伊達生氏、松井信子氏、丸谷小一郎氏、宮林康氏の10人が参加しました。

何故、また北海道で?

きっかけは芸団協主催の「芸能大学・アートが生まれる街」が同じ日に札幌市内で開催され、これに3人が出席したことからでした。北海道には19人の組合員がおり、普段は劇場の演劇を中心に活動しています。しかし、東京からは遠隔だということもあり、普段はどうしても疎遠になってしまいます。また、組合員20人足らずであっては活動するための資金もない、ということになってしまいます。事実、懇親会では

「北海道では民放テレビ出演時の髪の毛のセットを自前で負担させられるのですよ」

「北海道テレビなど、地元放送局と団体協約を結びたいんですが、活動費がないため、組合員同士の連絡、会合費用も自己負担になってしまうです」

などの意見が出されました。

これを受け、常務会では、この年から北海道への活動費の支出を決定しました

「文化省の設立を!」推進会議が発足

「経済大国から文化大国へ」のかけ声は、バブル経済の真っ最中から、各方面で声高に叫ばれるようになっていました。しかし、かけ声はかかっても、実質的な行動はほとんど起きないままでいたずらに時が流れていました。そこで、芸能界から声を挙げ、文化振興を図る官庁「文化省の設立を求める」運動が展開されることになりました。教育行政を主体とする文部省(現・文部科学省)とその下部組織である文化庁という関係を改め、文化庁を「省」に昇格させようとの要求です。

1994(平成6)年9月12日には、東京・霞ヶ関の三井クラブで「文化立国、文化省設立を推進する会」の発会式が行われました。発会式には日俳連の森繁久彌理事長、池部良氏、江見俊太郎氏の両副理事長、それに歌舞伎俳優の中村鴈治郎氏、音楽評論家の遠山一行氏、作曲家の黛敏郎氏、声楽家の岡村喬生氏らが出席。それぞれが文化立国・日本に向けての抱負を披露しました。

発会式の後のパーティーでは、村山富市首相も出席し、「世をあげてリストラの昨今、文化省の設立をお約束することは出来ないが、私個人としては文化省に賛成していることは申し上げておきたい」と挨拶しました。

しかし、この運動はその後、政府の機構改革で文部省と科学技術庁が合併するなどの動きの中で、徐々に下火になってしまいます。

「ランク制度の見直し」議論始まる

出演時の1人1人の基準出演料である「ランク」は、日俳連とマネ協が協力し、製作会社との間で長年をかけて確立してきた制度でした。俳優の生活を安定させるための収入を確保する最も有効な手段でもあったわけです。ランク制度では、俳優個人々々の出演料基準が毎年改定され、それが次の年に“値下げ”されることはありません。とくに、外画動画部門でのランク制度では、毎年、日俳連、マネ協側から申請して音声連が認めた「ランク」では、この“値下げ禁止”が厳重に守られてきました。

ところが、ランク制度の弱点は、1度上げてしまうと下がることがないため、製作会社側から「基準出演料が高すぎてキャスティングするわけにいかない」と断られてしまうケースが生じてしまうことです。「いい仕事だから、少しギャラが安くても出演したい。なのに、ランクが高すぎると言って断られるのが辛い」との意見が、組合員の中に出るようになって、外画動画部会ではこの問題の解決が急務とされるようになってきました。同部会の田原アルノ委員長は、この年から「ランク問題の解決こそ、部会の最大の課題」と位置づけ、討議を開始しました。翌1995(平成7)年1月31日には、早くも、東京・神宮外苑の日本青年館で「ランク問題シンポジウム」と題する外画動画部会の集会を開催しています。

この年、年の瀬も押し迫った12月23日、理事の大宮悌二氏がガンのため、東京・新宿区の社会保険中央病院で死去されました。66歳でした。大宮氏は、日俳連の役員として活躍したばかりでなく、芸団協でも幅広く活動された方でした。中でも、芸団協内の「芸能人年金」設立に当たって中心メンバーだったことは記憶に止めなければなりません。