-1987年-
読者の皆さまは「地上げ屋」という言葉を覚えておられるでしょうか。都心のめぼしい土地を公示価格より高い値を示しては強引に買い上げてしまう悪徳ブローカーのことでした。地上げ屋は、もちろん、買い上げた土地を企業などにさらに高く売りつけます。それでも、将来もっともっと値上がりがあると期待する企業はこれを買って土地値の相場をつり上げていくのでした。東京・銀座の1等地では、わずか1坪(3.3平方・)が1億円を超えるという異常事態さえ生まれたのでした。
また、株式市場では新たに上場されたNTTの株式(額面5万円)が1株300万円で取り引きされるという現象も生じました。
こうした現象によって象徴されるように、物価はどれも必ず値上がりするという観念が国民の間にも定着し、お金は無制限に借りてでも物を買うべきというとんでもない考え方が横行するようになりました。これを後に「バブル経済」と呼んだものです。
映画議員連盟の発足
国会の中に衆・参両議院の議員が超党派で結成する「国会映画議員連盟」が発足しました。国会の中には、すでに、やはり超党派で1977(昭和52)年に発足した「音楽議員連盟」があり、貸しレコードの規制に関わる法律制定などでは大いに力を発揮していました。音楽愛好者の議員が集まって政治的に行動しようという議員連盟の存在は力強い限りです。この存在を映画、演劇、テレビドラマにも敷衍して欲しいと言うところで映議連の発足が期待されていたのです。
この新しい議連は、当時、通商産業大臣(現在のポストは経済産業大臣)だった田村元衆議院議員の提唱で結成されました。実に126人の議員、すでに音議連に参集している議員の中からは30人がダブって入会する形で結集しました。
映議連は、1987(昭和62)年11月30日に、発足以来第2回目の総会を開催し、「日本映画の振興のために」として、8項目の提起をしました。
- 映画に対する助成措置の強化と関係予算の拡充
- 国立劇場的な「映画センター」設立構想の具体化
- 芸術に対する賞金の非課税
- 入場税の見直し
- 映画界の人材育成のための積極的施策
- 映画の著作物における俳優等、実演家の権利の保障
- 映画館の「シニア割引制」実施の検討
- 以上に関する各国―とくにヨーロッパの振興策に関する調査―
この問題に関わる国会論議は、翌88年5月24日の参議院商工委員会での市川正一議員(映議連副会長・共産党)の質問となって、政策の場に持ち込まれることになります。
売上税導入への反対運動
これより先、国内では「売上税」導入反対運動で大きな盛り上がりを見せていました。もちろん実演家も、このような大型間接税が導入され、生活を圧迫されることには強く反対の意向を持っていたことには変わりありません。芸能界では、芸団協を中心に、かねてより入場税の完全撤廃を主張し、国民の映画・演劇鑑賞の負担を軽減するよう訴えてきたのですが、その経緯からも新たな増税に反対するのは当然でした。
1987(昭和62)年2月10日発行の「芸団協」(芸団協の月刊機関誌)には、売上税に反対する理由を、数字の例示を根拠に次のように述べています。
一方、昭和61年度、国家予算に占める文化庁予算の割合は、文化庁創立以来最低の0.067%。昭和54年を境に下降線を辿っており、声高らかに謳われた「文化国家」も「文化酷家」へ転落しつつある」
また、この年3月20日には、衆議院予算委員会の公聴会に、日俳連の常務理事で芸団協の常任理事も兼ねていた江見俊太郎氏が公述人として出席し、「国家予算に占める文化予算の割合は年々減少しています。ただでさえ文化予算が少ないのに、売上税が導入されると、廃業を余儀なくされるなど芸能活動は成り立たなくなります。ひいては日本の文化が貧しくなるでしょう。舞台芸術は人間の知性と感性を豊かにする大切な役目を担っており、売上税とはなじみません」と売上税導入反対の意見を述べました。
「文化予算増額」「入場税撤廃」「売上税撤回」の運動は、その後も盛り上がりが続き、同年3月30日、31日には5874人が参加した銀座パレード、国会請願が行われました。また、2月から続けられていた請願署名は193万3600余人分に達しました。こうした運動が、芸能界ばかりでなく、各方面、各地で展開されたためでしょう。売上税構想は、自民党の法案提出にもかかわらず、同年5月27日廃案になりました。
この売上税構想は、2年後の1989(平成元)年4月に「消費税(3%)」と名を変えて導入されることになります。ただ、こうした新しい間接税の導入に伴って、長年の悲願であった入場税は廃止されることになります。