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Japan Actors Union

1976年・1977年 | 日本俳優連合30年史

約11分
1976年・1977年 | 日本俳優連合30年史

-1976年- インフレとの闘い

「この2、3年来の一般的な趨勢として、組合としての“放芸協”の独自活動が徐々に弱まって行く傾向にあったことは、各年度の総代会などでも指摘され、組合の諸会議でもしばしば論議の的になってきたところであるが、今期の事業状況をみると、その傾向が一段と深まってきていることが実感される。このことは、そのまま“放芸協”の今日の在り方と創立以来、組合が放送芸能の分野で担ってきた役割を象徴的に物語っていると言える」

1977(昭和52)年5月28日、東京・新橋の芸団協会議室で開催された放芸協の第10回通常総代会に提出された議案書では、昭和51年度(1976年4月~1977年3月)の事業報告書の冒頭をこのように書き出しています。1967(昭和42)年に事業協同組合となってからほぼ10年。この間、新たに「日本俳優連合」を組織するという結集への動きを力にして、1973(昭和48)年7月には、声優を中心に外画・動画等対策委が企画した都心部でのデモ行進、同年8月には24時間の出演拒否を敢行して、大幅な出演料アップを獲得するなど数々の実績も重ねてきたのですが、ここへきて一種の中だるみを生じていたのでしょうか。

世の中では、「狂乱物価」は一応の収まりを見せてはいたものの、依然として、インフレは進んでいました。これに対し俳優の出演料収入は、前年のNHK、民放キー局における基準出演料等の改定にもかかわらず、ほとんど実質的な潤いをもたらしていませんでした。従って、放芸協としても日俳連としても、直面する活動は出演料の実質的増額に向けざるを得なかったわけです。

「NHK出演料40~50%アップ」

「民放最低基準出演料10,000円へ!!」

この大きな見出しが機関誌「放芸」第56号の第1面を飾ったのは1976(昭和51)年9月1日のことでした。具体的な内容を列挙すると

NHKでは

  1. 基準出演料の上限をTVは5万円から7万円に、ラジオは4万円から5万円に引き上げる。
  2. ランク体系に基づき、全出演者について一律1ランクアップを実施する。
  3. 個人別ランクの手直しの一環として、旧ランク体系の中にTVでは「18,000円」「23,000円」「28,000円」を、ラジオでは「14,000円」「18,000円」「23,000円」の3段階をそれぞれ導入する。
  4. ハーサルについては、スタジオ入りから6時間を超える拘束があった場 合には20%のリハーサル手当を加算する。
  5. 日当・宿泊料について、日当はラジオランクの基準でその60%相当額を(ただし9000円頭打ち)、宿泊は旧来の7000円頭打ちを改め、TVランクを基準に支給(10,000円頭打ち)に改める。

民放キー局5社では

旧来8000円であった最低基準出演料を10,000円に改定でした。

FIAのウィーン総会に参加

この年9月12日からオーストリアの首都ウィーンで開催されたFIA(国際俳優連盟)の第10回総会に村瀬正彦事務局長が出席しました。録音機器や録画機器の発達に伴って実演家の間で問題になり始めていた被害について、世界の俳優と共に考えようとの趣旨による出席でした。

この頃、芸団協では「昭和の記録、海賊版事件」に重大な関心を寄せていました。この事件というのは、財団法人NHKサービスセンターが録音集として発行していた「昭和の記録」を、新潟市の石山家電販売という会社のテープ出版事業部が勝手に複製し、それに解説用の写真集を付け足して「聞く昭和史みる昭和史」として売り出したのを芸団協の浜坂福夫理事(ギター奏者、日本演奏家協議会)ら6人が原告となり、不法複製、販売に対する謝罪と代償を請求して東京地裁に提訴したものです。原告となった人たちはNHKサービスセンターが発行するに当たって、オリジナルテープ録音時のバックグラウンド音楽の演奏をしていたのです。

このような録音物、録画物に対する海賊行為は、世界的にも大きな関心を呼んでいました。実演家にとっては切実な権利侵害行為であったからです。ウィーンでのFIA総会に出席した村瀬事務局長は、この年6月に芸団協が文化庁に提出した「著作権法の一部改正についての要望書」の英訳文と独訳文を携え、日本の置かれた状況をアピールしたのでした。複製機器の発達に伴う実演家の被害、録音機器の普及とその利用状態、録画機器の普及とその利用状態、これらの問題に対する国際的関心等々。これらは、いずれも、その後20年以上を過ぎても根本的には解決されないテーマですが、問題が出始めた時点で早々に世界に向けて情報を発信したその姿勢は高く評価されたものでした。

-1977年- 恐るべき「ライオン事件」

年明け早々の1月26日、NET(現・テレビ朝日)の番組「いたずらカメラだ!大成功」(放送は2月6日)で、常軌を逸する事件が発生しました。出演している落語家がライオンの檻に入れられ、重傷を負わされたのです。ことの顛末はこういう事でした。

この番組は意外性を売り物にしていました。だから、出演している本人も全く予想していない事態に直面させ、その驚く様を視聴者に送って笑わせるのが狙いでした。そこで犠牲になったのが、上方落語協会所属の桂小軽氏という落語家だったのです。袋詰めにされた彼は何も知らないまま、ライオンの檻に入れられ、袋から出てきたらライオンと直面、仰天するところをカメラが狙っていました。ところが、袋から人間が出てくればライオンだって驚く。そこで、爪を立てケガを負わせたという次第でした。

他人に笑いを届けるのが商売の落語家とはいえ、芸によって笑いを呼ぶのではなく、醜態をさらして笑われるのですから、これは屈辱です。激怒した芸団協の久松保夫専務理事は、2月14日に、社団法人 日本民間放送連盟の杉山一男専務理事宛に「出演者の人格無視のおそれある番組の停止と災害対策について」という申し入れを行い、また日本俳優連合も、3月20日付けで、喜多実会長、永井智雄理事長、二谷英明専務理事によるアピールを公開しました。

それは、単に一人の実演家が屈辱と重傷を負ったことへの抗議に止まらず、娯楽番組のあり方に対する警告に重みがかけられていました。

アピール

最近、一部の民間放送において、ますますエスカレートして行く傾向が目立つ過度の「視聴率競争」の結果、ついにこの度は、出演者の人命にもかかわりかねない不詳事件を起こすに至りました。これはコマーシャルベースでの「視聴率万能主義」が陥る当然の帰結とでも言えるでしょうが、ここに第一に考えなければならないのは、「放送」に対する番組製作者側の基本姿勢ではないでしょうか。

そもそも“電波”は国民共有の財産であり、これによって成り立っている「放送事業」は、その広範な伝播力と影響力からして、すぐれて公共的、社会的事業であることは言うまでもありません。「放送事業」が政府の認可事業である理由もまたここにあるわけです。ですからNHKにおいても、民放連においても「国内番組基準」または「放送基準」という自主規制のルールが設けられ、行き過ぎを防止する措置がとられているわけです。全ての「放送」に携わる者は、放送局およびその製作関係者、出演者など、立場の如何にかかわらず、「放送事業」のもつ高度な社会性、公共に対する自覚と責任の上に立って、それぞれの職務を果たすべきであり、それが最終的には“電波”の持ち主である国民に対する義務につながると考えるものであります。(中略)

日本俳優連合は、この事件の報道に関し、一部ジャーナリズムの間に、「芸能人の人権の主張」を揶揄するような論調が現れたことを重視するものであり、これをなおざりにすることはできません。

(1)私たち俳優は、その職業の持つ性質上、ある程度までは公的な面から「プライバシー」に関する報道を許容せざるを得ない立場にあることは認めますが、俳優も人間であり、社会人である以上、肉体的な危険や生命の危険を伴う仕事を強要されるようなことは決して許されていいものではありません。

(2)俳優の社会的地位の向上ということは、私どもが過去十数年にわたって訴え続けたことであり、日本俳優連合が結成された以後もその運動の一つの大きな柱となっている条項です。しかし、悲しいかな、現今においても未だに、ある種の差別または蔑視が根強く残っているわけで、今回の事件を通じて、はしなくもその一端が露呈された感があります。しかも重要なことは、その被害を蒙った当人たちが声を大にしては苦情を申し立てておらず、むしろそれをはばかる風さえ感じられるという現実です。ここで考えなければならないのが、こうした不当な現状の打破にあることは明らかですが、それよりも第一に私たち俳優自身が、はっきりした自主性を確立することが大切であり、それを自覚しない限り現状を変えていくことは困難だということです。

(3)具体的な方法としては、出演者側も製作者側も、仕事に関する災害または事故が起こった場合は、大小にかかわらず直ちにその内容を公表し、事故の状況、補償の内容などをできる限り詳細に話し合うという一つのルールを確立することです。たとえ道は険しく困難であろうとも、将来において、必ず解決の方策が拓けてくることを信じ、このアピールをするものであります。

形骸化してきた民放の基準出演料

日俳連、マネ協、新劇団協議会の3団体による統一要求で民放キー局5社と基準出演料の改定を交渉する方式が定着して以来、他の産業界の労働者が「春闘」でベースアップを獲得するように、日俳連所属の俳優の基準出演料は毎年11月を改定時期とし、ほぼ確実に引き上げられるようになりました。1977(昭和52)年11月の改定では、最低基準出演料は1万2000円へと前年比20%もの大幅アップを記録しています。

しかし、その一方で問題となってきたのが基準出演料、すなわち「民放5社統一ランク」の形骸化です。民放局が自ら独自制作(局制作)するドラマが激減し、下請け制作体制が強化されては「ランク」そのものが空洞化、形骸化してしまい、「ランクは一応の出演料の指標」というだけ。実際にテレビ映画に出演する俳優たちは、現場での出演交渉ではランク以下のギャラを提示され、それを泣く泣くのんでは出演するというわけでした。

このような情況の中では、「下請け番組対策」はより重要な課題になってきます。それも、単に、俳優の出演料問題に止まらず、「国民全体の財産ともいうべき電波を利用して利益追求の具にする民放のあり方が問題」との議論にまで話は進みます。そこで、日本放送作家組合が呼び掛け人になり、この年11月9日、日本レコード協会、日本音楽著作権協会(JASRAC)、日本シナリオ作家協会、日本文芸著作権保護連盟、日本映画監督協会、日本映画撮影監督協会、日本演奏家協会、日俳連、新劇団協議会、放芸協の10団体が加わった11団体による「番組制作の実情を訴える」運動を発足させたのでした。

中でも急先鋒に立った日俳連、放芸協、マネ協、新劇団協の4団体は「民放における“局外製作番組”に関する要望」を発表し、

  1. 放送局は、番組放送の当事者として、外部制作作品について、出演料等支払いの保障をを含めて「元請け企業」としての責任を明確にしてただきたい。
  2. 部制作作品の発注単価を大幅に改善していただきたい。
  3. 外部制作作品の利用に当たって、出演者が無制限な、あるいは良識を超えた利用期間(例えば10年間など)を認めることを強いられるような契約条件が、もし下請け制作プロダクションとの間に結ばれている例があるならば、今後はこれを撤廃し、良識に基づく「利用契約」に改めていただきたい。
  4. “局制作番組”にかかわる諸問題について、私どもを含む関係者と何らかの形で早急に意見交換、懇談の機会を設けるようご配慮いただきたい

の具体的4項目を提示しました。この問題は、さらに広がりを見せ、翌1978(昭和53)年4月3日、赤坂プリンスホテルに11団体に日本歌手協会、日本作曲家協議会など11団体を加えて22団体に膨れあがった団体と衆参両議院の逓信・文教各委員との懇談会へと発展するのでした。

ヨーロッパの芸能人も苦しい

この年、8月29日から9月2日まで、スイスのジュネーブでILO(国際労働機関)とUNESCO(国連教育科学文化機関)合同の芸術家の地位に関する専門家会議が開かれ、「芸術家の状況」が報告されました。厳しい厳しいと訴える日本の実演家とくらべて諸外国はどうなっているのか、との疑問に応えるものとして興味を呼びましたが、意外にもヨーロッパでは日本より一層厳しい状況に直面していることが分かりました。

例えば、西ドイツ(当時は東西ドイツに分かれていました)では1950(昭和25)年から70(昭和45)年までの間に音楽家と歌手が4万8500人から2万9500人に40%も減少しました。この間、フランスでは俳優が25%減少しました。芸能人の数を人口比で見ると、1971(昭和46)年時点で、西ドイツでは4000人に1人、イギリスでは5000人に1人、フランスでは7000人に1人となっています。この時点で、フランスでは80%もの俳優が1年間近い失業を経験し、ノルウェーでは15%、カナダでは12%の音楽家が失業状態にあるとのことでした。そして、ノルウェーでは大部分の芸能人の収入は1900ドル(この時点では1ドル=308円でした)以下で、政府職員の初任給の4分の1に過ぎないとの報告もなされました。そればかりではありません。ノルウェーでは半数の舞踊家が1年の大半を無職で暮らしているという報告さえありました。

では、どうしてこんなことになったのか。報告は、「近年のエレクトロニクスによるテレビ、ラジオ、レコード、テープ、ビデオが芸能人の地位を貧弱化させ、将来の展望に暗い影を落としている」と述べています。言い換えれば、機械的失業がもたらす悲劇。日本と同じ状況は、間違いなく世界的規模で広がっていたのでした。