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Japan Actors Union

1986年 | 日本俳優連合30年史

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1986年 | 日本俳優連合30年史

-1986年- 放芸協の発展的解散

1986(昭和61)年6月2日、協同組合 日本俳優連合は芸団協に正式に加盟。これに伴って日本放送芸能家協会(略称・放芸協)は発展的に解散することになりました。森繁理事長が、就任以来、口にし続けた「分かりやすい組織」への脱皮が出来たのでした。

繰り返しになりますが、日俳連の母体は放送に携わる実演家の組織である協同組合 日本放送芸能家協会でした。それを、伝統芸能を含むあらゆる分野の俳優を結集した「俳優連合」に発展させ、音楽や演芸、舞踊の三分野の連合と並列させる「四つの連合構想」の中で日俳連が誕生し、協同組合としての法人格が放芸協から日俳連に委譲されるという経過を辿ったのです。そして、放芸協と日俳連は所属する人員がダブル形で数年を過ごしてきたのでした。端から見れば、放芸協と日俳連がどう違うのかがわかりにくいし、内部の組織人としても定款や規約がどうなっているのか混乱しやすい状態が続いていました。一方、芸団協としても「四つの連合構想」を総括する形での上部団体にする上では、俳優総連合になっていない日俳連を傘下に加盟させるのには抵抗があったようです。この辺を再整理し、正式加盟に向けて努力したのは、すでに、芸団協の専務理事に就任していた小泉博氏、日俳連の二谷英明専務理事、江見俊太郎常務理事でした。

カラオケでの映画再使用が問題に

1986(昭和61)年3月25日、日俳連の森繁理事長は、(社)日本映画製作者連盟(映連)の岡田茂会長に宛てて、申入書を発送しました。

旧作映画の「カラオケビデオ」における再使用に関する件

貴連盟加盟各社所有の旧作映画が系列会社等において制作、販売、レンタルされる「カラオケビデオ」に再使用されております。私共は、「映画の一場面を全体から分離して改変し、不完全な形で使用することは、映画の上映、宣伝、配給とは異なる目的に使用することになり、当初俳優が契約した映画出演の目的の範囲を逸脱するものである」と考えますが、貴連盟のご意見をお聞かせいただきたいと存じます。

カラオケは、最近でこそ、それを専門とする企業の出現で、パソコンを駆使した通信機能による映像の送信が可能になりましたが、当初はビデオテープやレーザーディスクに録画したソフトを用いていました。しかも、歌に合わせてテレビ画面上に現れる映像は旧作劇場映画の一場面を利用する形式がほとんどだったのです。カラオケ愛好家の歌う歌が過去にヒットした旧作日本映画の主題歌になるケースが多かったせいもあったのでしょう。また、旧作映画の場面を使えばスター俳優の顔が随所に登場して客を喜ばせる一員になるとの読みも製作者側にはあったものと思われます。それに、何より、映画製作者側にとってのメリットは旧作の一部分をカラオケ会社に売ることによって得られる低コストの利益でした。

しかし、カラオケの登場はそもそも酒場の酔客が酔った勢いで歌を歌うという付随的な楽しみによるものでした。また、テレビ画面に現れる旧作映画の一シーンは、歌詞に合わせたほんの数分の部分使用ですから、出演している俳優にとっては映画のストーリーにおいての必然性とは関わりない濡れ場や格闘場面など刺激的な部分だけが利用されるというケースも多かったのです。酒場の酔客が喜んだとしても、出演している俳優が如何に苦痛であったかは容易に想像できます。日俳連の森繁理事長が上記のような申入書を映連の会長に送った理由は、こうした背景によるものです。

この申し入れに端を発したカラオケ問題は、日俳連と当事者会社である東映ビデオ会社並びににっかつとの間で、話し合いが進められ、1988(昭和63)年6月1日になって、ようやく妥結、覚書調印に至ります。

覚書の要点は

  1. カラオケビデオを製作する際、その楽曲の主題に調和した映画シーンを選び、俳優の名誉声望を傷つけることのないよう配慮する。
  2. 日俳連は、当該出演者についてアウトサイダーも含めて責任を負う。
  3. 製作会社は、映画の題名・封切り年度、登場する主要な俳優名、収録楽曲名、発売時期等を書面で報告する。
  4. テレビ映画は含まず、使用する際は、この覚書の趣旨に添って協議する。
  5. 昭和63年6月以降に製作されるカラオケビデオ作品について1曲当たりの支払金額は15万円とする。

の5項目。このことは映画著作物からお金を取る実績を作り、また製作者側も明らかに目的外の使用であることを認め、支払いを容認する姿勢があったことを示しています。

  1. 15万円のうちの10万円を出演者の人数割りとし、出演者全員一律金額とする。
  2. 15万円のうちの5万円を配分のための3団体の手数料とし、その内訳は20%をマネ協お劇団協の協力金、5%をクレーム基金、残りの75%を日俳連が実務を行う配分作業の手数料とする。

こととしたのでした。実際の配分は1989(平成元)年4月から開始されました。

放送番組のビデオカセット市販

カラオケ問題の提起に先立つこと3ヶ月前、1985(昭和60)年12月30日、31日に日本テレビとその系列製作会社ユニオン映画製作が制作、放送した後、ビデオ化、販売した「忠臣蔵」について製作者側が出演者に対して「協力金」を支払うという実績が出来上がりました。事の経過は、「忠臣蔵」の放送の予告編の段階で、日本テレビがビデオ化販売を公表したことから、実演家側は芸団協を通じ「事前に分かっていることなら、出演者への手当を明確に」との要求になり、日本テレビ側もこれを受け入れたのです。
参考までに日本テレビ側が示した協力金の内容は

  1. ビデオカセット発行500巻までは、一括金として70万円を芸団協に支払う。
  2. 発行が500巻を超える場合は、(1)の内容に加えて500巻を超える100巻ごとに6万円を追加する。
  3. 別記「ビデオカセットの使用の態様」の範囲を超えて使用する場合は、別途協議する。
  4. ビデオカセットをレンタルリースする場合は別途協議する。

民放番組については、芸団協と民放連との間にテレビ・ラジオ基本協定が結ばれており、局製作番組については、さまざまな権利処理が事例に応じてなわれておりますが、問題なのは基本協定の拘束が直接には及ばない民放の外注番組であります。今日、民放ドラマはほとんどが外注となり、様々な問題が起きておりますが、解決の鍵は一つと思われます。同じ外注番組でも、外画動画の音声部門では、日本音声製作者連盟(音声連)との間に一定のルールが各種協定という形で出来上がっており、ビデオソフト化などの権利処理は話し合いにより実績を挙げるところまできています。

この状況は、その後15年を経過した現在になっても、基本的に、変化はありません。実演家の権利処理を巡る問題の根深さを思い起こさせる実態がここにあります。

声の出演・目的外使用料の料率確定

1986(昭和61)年2月28日、日俳連、マネ協、新劇団協の三団体は映画会社5社と映像製作会社約100社に対して、次のような通知文を発送しました。

ご 通 知

拝啓 時下益々ご盛昌のこととお慶び申し上げます。平素より、私ども三団体傘下の俳優が格別のお世話に相成り、厚く御礼申し上げます。

私ども三団体は、昭和49年以来、協同組合日本俳優連合と日本音声製作者連盟との間に締結された「統一出演契約」である「外画・動画出演実務運用表」に基づき、外国映画及び国産アニメーション等の声の出演業務を行って参りました。

同運用表の骨子は、私どもが声の出演をした作品が、最初に出演契約したメディア以外に使用される場合、メディア別に定められた使用料を支払って頂くことにあります。例えば、テレビ用に作られた作品が、他のメディア(劇場公開、ビデオグラム等)に使用される場合、その使用目的に沿った使用料を支払っていただくという出演契約です。

全てのジャンルにわたって、声の出演料がテレビ30分の外画・動画番組用に定められた個人ランクを基準にして算出された非常に低額である点にご留意ください。

さて、私どもは、私どもが声の出演をしました作品が、最初の「出演契約」に拘わらず、依然として業界の一部で、契約外のメディアに無断使用されているという現状を正常化し、併せて、多様化するメディアに対応するため、従来からの出演条件を一層明確化した新運用表を、日本音声製作者連盟に提示いたしました。詳細は、当該作品の音声製作者にお問い合わせください。

新運用表に則る実務・運用は、来る昭和61年4月1日と致しており、私ども三団体はこの内容を一致して貫く所存であります。よろしくご対応いただけますようお願い申し上げます。

私どもは、従来から、業界の共存共栄を基盤としつつ、10年余にわたってその事業を遂行して参りました。何卒、私どもの意図するところをご理解のうえ、業界正常化のためご協力くださいまよう、あらかじめ書面をもって、ご説明を申し上げます。

この通知文は、外画動画部会に所属する俳優たちが自らの「出演契約」を基本的に考え直し、業界内に徹底しようとした画期的な試みでした。永井一郎委員長の下で十分に考え、練りに練ったうえの新しい出演料体系の仕組みだったのです。そこで確立した「使用目的別料率方式」は、

「出演料は個人の技量・キャリア・人気などに基づいて設定される個人ランクと作品の長さ及び作品の使用目的の3要素によって計算するのを原則とします」

すなわち、出演料=基本ランク+時間割増料+目的別使用料であり、

初期製作の目的以外に使用される場合には新たに転用料が必要となっています。

この方式は、この通知書送付によって確立し、その後の基礎となっています。

NHKとの間で解決した事故補償

1985(昭和60)年5月、関西在住の俳優で日俳連理事の海老江寛氏がNHK大阪局製作のドラマスペシャル「匂いガラス」(唐十郎作)に出演中、ロケで自転車に乗っていて転倒、左足首にひびが入るという負傷をしました。NHKは当初、出演料を水増しするような形で、見舞金を支払おうとしたのですが、日俳連はこれに抗議。団体協約に則った支払いをするよう申し入れたのでした。話し合いの結果、NHKは団体協約第20条に明記された「出演事故」であることを確認し、改めて「見舞金」5万円を支払いました。

これは、支払われた金額の多寡の問題ではなく、団体協約という明確な契約条件によって紳士的な話し合いが行われ解決に至った初のケースとしての意義が大きいものです。NHKと日俳連が1984(昭和59)年9月1日に締結した団体協約第20条には「乙(NHK)は番組製作に当たり、出演者に危険を及ぼすことのないよう配慮し、安全管理を行う。万一、番組製作(リハーサルを含む)作業中に組合員に事故が生じ、その補償につき、甲(日俳連)から申し入れがあった場合、甲、乙協議して措置する」の文言が明記されています。これを協約当事者の双方が忠実に守ったという点で、特記すべき事柄だったのでした。

録画を前提としたテレビ番組の出現

フジテレビが、1986(昭和61)年9月12日にスタートさせた毎週金曜日の深夜番組「録画チャンネル4・5」は日俳連にとってショックの大きいものとなりました。番組は午前2時から6時30分までの放送で、「起きて見るか、録って楽しむか」とのキャッチフレーズでも明らかなように、視聴者が番組録画することを半ば前提としたような企画になっていたからです。放送時間帯が通常の生活パターンなら就寝時間であること、また、番組のスポンサーがシャープ、東芝、日本ビクター、日立製作所、松下電器、三菱電機のVHS機器生産6社であることからも、その意図は容易に想像されました。

この時点でのVTRの世帯普及率は、すでに、40%近くになっており、家庭内での録画による番組利用はその影響の深刻さを増しているところだったのです。歌舞伎俳優を組織している(社)日本俳優協会内では、このようにはじめから録画されることを前提にした番組の製作に疑問の声があがり、歌舞伎俳優は松竹の了解を得たうえで、番組出演を断る決定を下すほどでした。他の団体からもでも、この問題には強い関心が寄せられ、国内のVHS録画機器メーカー6社に何らかの申し入れをすべき、との意見も出始めていました。

そこで、芸団協はフジテレビならびにVHS機器メーカー6社に対し、「芸能文化の衰退につながる重要な問題であること」「著作権法第30条=無断複製は私的利用のみに限ることを規定=に抵触する危険のあること」を記した申入書を送付しました。

この年、村瀬正彦事務局長が病に倒れ、入院しました。長年にわたる過労と心痛から来る胃潰瘍とうつ病の併発でした。幸い手術はうまく行き、大事には至らず、10月30日に行われた第22期通常総代会には出席できましたが、前途に不安を残す発病でした。